|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
左京鼻
江戸時代の初期、大旱魃に襲われ、田畑の作物は枯死に瀕し、人々は生活に苦しんだ。
農民の要望に応えて、陰陽師の後藤左京と竜蔵寺五世日峰昌高和尚の二人は、
雨乞いの祈祷を受託し、身命を賭して人々の救苦を誓った。
雲ひとつない日照が続き、そのため一心不乱に天に祈った。だが雨は降らず、満願の
日がきた。
後藤左京は、岬(八幡半島、左京鼻)の断崖から身を投じようと席を立ち、又坐禅をしている
日峰昌高和尚の周囲にある千杷の麦藁に火が点じられ、紅蓮の炎がその姿を包むや否や、
一天俄かにかき曇り、車軸を流すような豪雨となって山野を潤した。
左京鼻の言われは、切り立った石があるので「石橋」から出た言葉ともされるが、雨乞いを
した後藤左京の名であるとも伝えられている。
又焦げた和尚の袈裟は寺宝として龍蔵寺にあるそうです。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|