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原の辻遺跡群


紀元前2~3世紀から紀元3~4世紀にかけて形成された大規模な多重環濠集落で、芦辺町と
石田町に横たわる台地上を中心に東西南北1km四方に広がっている。

原の辻遺跡は「魏志倭人伝」の中の一支国の王都として特定されている。

現在も発掘作業が行っており、古代史を書き換えるような面白い発見が相次いでいる。最近では
人面石が話題になっていて、ムンムクの絵の様なユニークさがたっぷりのもので、3~4世紀に
作られたもの。


壱岐 原の辻遺跡 11 壱岐 原の辻遺跡

  壱岐 原の辻遺跡群 
     
 
   
 
   
 
原の辻遺跡文献


原の辻遺跡は、川内川流域の通称深江田原(長崎県内では諫早平野に次いで第2位の広い平野)
津合橋から石田よりの小丘陵及び県道沿いに遺跡が分布している。

原の辻遺跡については大正十五年~昭和三年にかけて松本友雄氏によって初めて採集、発掘調査
されその時初めて弥生式土器及び台地聚落遺跡を発見又石鏃、石錘、石剣、石器を出土、ついで、
昭和14年鴾田忠正氏も耕地整理に伴い、土器(壺、甕、器薹、沓型土器)金属器(鑑鏡、銅鏃)、
骨角器(鹿角製戈、鹿角製突器、骨鏃、鯨骨製剣)石器、自然遺物(貝類)などを報告。

昭和二十六年、二十八~三十年東亜考古学会は水野清一氏(京大)が主任として組織的調査を
行い、この大聚落遺跡の性格を明らかにした。

弥生式中期(原の辻下層)と弥生式後期(原の辻上層)が層位をなし、前者はいわゆる須玖式、
校舎は須玖式より高三潴式への移行の状態を示している。

下層からは石庖丁、石剣、抉入石斧、石斧等の石器が出土したにも関わらず、上層では石器が
減少し、鉄製品が少なくない。

この層からは中国王莽新代の貨泉が出土した。また須玖期に属する竪穴住居、平地住居、
周濠などの址が発見された。

鉄製品には、鍬先、鋤先、鎌(農耕具)釿、鉇(木工具)、刀子鏃、銛、釣針(狩猟漁撈具)があり、
すべて鍛造である。

鉄製品と共に、弥生式文化期における大陸との交渉を物語るものとしてはロクロ製の陶質土器、
いわゆる漢式土器が出土している。

昭和四十九年に、緊急発掘調査のあった原の辻東側台地端からは、六十数基の甕棺、石棺から
なる墓地(今から2000年前のもの)が発見されたが、昭和五十年は遺跡の広がりを確認するための
調査が長崎県文化課により実施された。

方法としては十九個の試掘杭を設定し、調査を開始。台地の北端からは、北側に傾いた旧地形に
沿って遺物の散布状況が見られ、さらに、台地北西側の県道沿いでも、地表下約一メートル弱位で
岩盤に達したがこの岩盤の東、西の両側を切り込んであり、ここからも土器群が出土している。

「原の辻」は弥生中期~後期(約二千年前)の生活跡墓域、生産域を包蔵している広大な遺跡で
ある。
 
   
         

島のアルバム 2009年10月・原の辻遺跡
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原の辻遺跡関連サイト

原の辻遺跡

壱岐・原の辻展示館

原の辻遺跡(壱岐市芦辺町/石田町)・写真満載九州観光

長崎 原の辻遺跡
   
   
   



   
 
   


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