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壱岐の島にはあちこちに由緒あるお寺や神社が点在している。また、ここ近年になって
隠れキリシタンの軌跡が確認され始めた。
キリシタンの軌跡は言わば時代の背景からして決して目立つものではないにしても、
仏像の中から出てきたりとかで、当時の中央政府の迫害から島に逃れ、日本というそして
島国と言うある種の曖昧な文化の中で密かに許容されていた様に思える。
島の人の多くは仏教徒であるものの、お祭り好きで正月の参拝は島の人間にとって一年の中でも
最も大事なイベントである故、神社の存在は生活上必要不可欠なものだ。
お寺を周り癒され、様々な特徴ある神社と出会い、そして、隠れキリシタンの存在を
この歳になって気付いた。
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壱岐の島の七社めぐり
島の人間は、お祭りが好きで正月の初詣も
欠かせないのが神社の存在だ。そこで、代表的な
壱岐七社をを紹介したい。 |
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壱岐の神社の総帥で
平安時代から室町時代
の貴重な文化財がある。
12月、壱岐神楽の
フィナーレを飾る
大大神楽が奉納
される。
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住吉神社 |
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原の辻遺跡のある平野
の山際にある。
祭神は足仲彦命と
息長足姫命(神功皇后)。
かつての壱岐国
一の宮で式内社
でもある。
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興神社 |
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特徴のある神社 |
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日本神道発祥の地
としてされていて、
京都の月読神社は、
487年壱岐の県主の
先祖忍見宿祢
が壱岐から分霊した
ものだそうだ。
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月讀神社 |
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1281年(弘安4年)の
弘安の役で戦死した
少貳資時を祀った
壱岐で最も新しい神社
である。
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壱岐神社 |
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境内には200を超す
石猿群が有り、
「見ざる」「言わざる」
「聞かざる」の
その表情は愛嬌
たっぷり。
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男岳神社石猿群 |
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隠れキリシタンの軌跡 |
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近年になって隠れ
キリシタンの礼拝物が
島内のあちこちで
発見されている。
ハートの形をした
手水鉢もその一つだ、、
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ハート型手水鉢 |
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和のこころがもてなす安らぎの空間 |
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平成15年に出来た
ばかりで壱岐の島の
今とりわけ注目を
浴びているスポット。
園内には沢山の
観音像があり、心安らぐ
空間と出会うだろう、、
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もろつ観音-白歯雪公園 |
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足利尊氏と直義が
建立を命じたと言われる。
また境内の杉の大木が目
を引きます。
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安国寺 |
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壱岐の島は歴史的にも中国大陸や朝鮮半島、それに江戸時代鎖国制度等の影響を受け、
様々な文化や宗教が入り混じっている。
九州の玄関口等と言った例えがあるが、玄関口とは中国の標準語で「十字路口」と言う。
禁教時代、隠れキリシタンたちが信仰した礼拝物が、他の仏石に紛れている史跡が
今となり島のあちこちに発見されている。
島の十字路の口はいろんなものを受け入れてきた、、、 |
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